2010年10月29日金曜日

大工道具の思い出

先の2200kmの旅のおり、愛知県の我が実家にも立寄った。最近母親の足元がおぼつかなくなってきて、歩行を助ける手摺り。それがグラグラしている。それを補強しようと、物置を物色して大工道具を引っ張り出してきた。我が父親が使っていた奴だ。ほとんどはさびついていたけど、手摺りぐらいの修理なら何とか完了した。

現在、建築中のわが身としてはこれら大工道具は欲しいものばかり、お願いしていただくことにした。特にノミは、手元にろくなモノしかなかったので、これらは本当のありがたい。研げば充分使えるだろう。特にこれから木工小屋を建てる段階に来ているので、タイミング的にもちょうど良い。

道具が入っていた箱を見ると、購入年月日が昭和40年11月13日とある。父親が買ってきた時のことをおぼろげながら覚えている。箱からいろいろな道具が出てくるのを興味深くのぞいていた。これら道具の使い方を想像したり、それからできる上がるだろう製作物を思い描いていたのか。また、弁慶の七つ道具のようにひとそろいになった組合せにも興味があった。年月日から計算して、あの時自分は中学生だったのかと今思う。

この道具を使って、庭に温室を作った。大工の心得があった父親と三つ違いの兄といっしょにノコギリで角材を切り、ノミでホゾ穴を掘ったりして刻み作業。そして建前。サラリーマンだった父親がこんな技術を持っていることが意外だった。

出来上がった温室には設計上の大きな問題があった。建材を節約するためか、土地を掘って、階段で2,3段降りたところが床となる半地下構造にした。そのため、雨が降った翌日は床一面水が溜まってしまった。温室なのか、池なのか。相当使い勝手の悪いものになってしまった。

残された大工道具、そしてそこに記された年月日で呼び戻される懐かしい思い出だ。

2010年10月28日木曜日

ガレットに挑戦

ある経緯があって、今度11月下旬に20枚以上ものガレットを焼くことになった。その準備として、クレープやガレットの焼き方をフランスの方から直々に習う機会を得た。

ガレットは、言ってみればソバ粉のクレープだ。クレープは小麦粉が原料で、どちらかと言えば甘いお菓子の感覚。ガレットは食事として位置づけで、フランス・ブルターニュ地方の家庭料理だとか。そこは土地がとても痩せていて、ソバぐらいしか育たなかったのだそうだ。

焼くにはそれなりの道具が必要だ。薄い方がおいしいので、そうするための工夫がある。縁がせり上がってない平らなフライパン、生地をひろげるためのトンボ、そしてひっくり返すためのヘラ。道具の名前を聞いたら先生も思い出せないそうなので、思いつく言葉を当てておく。

仕上がりに、チーズ、ハム、卵を乗せて、四隅を折りたたんで出来上がり。見れば簡単そうだが、やってみるととてもできません。生地を丸く引き伸ばすことができません。あっという間に固まってしまい、右半分は厚く、残りは穴だらけのボロ雑巾。クレープは伸びが良いので、比較的簡単だけど、そば粉はそうはいかない。厚ぼったいガレットの味は正直今一なのだ。

家に帰って、まずは道具作りからスタート。大工道具として購入していた30cm四方の鉄板をまずタワシでゴシゴシ。そして、IHヒーターに乗せて、オイルを垂らしてシーズニング。以前、ダッチオーブンでやった経験が生きた。IHヒーターなので火加減はやり易い。でも、4mm厚の鉄板でも中心と縁でかなりの温度差が出てしまうことがちょっと気になる。そして、加熱が過ぎると鉄板が反り返ってくる。これも問題だな。そして、ヘラも作成。竹を割り、ナイフで整形。長さ40cmのヘラとなった。

これでうまく行くかどうか。今日のところは、お好み焼きで試運転。やはり、試験をする場合、不確定要素をなるべく排除しなくては問題が複雑になる。お馴染みの日本料理でスタートすることが安全確実だ。だから竹ヘラの出番はなし。鉄板は順調に稼動して、外はカリカリ、中ジューシー。とてもおいしいお好み焼きで昼ごはんを済ませることができた。

生地は作って一晩寝かすので、今晩生地を用意。そして明日からしばらく朝食はガレットだ。

2010年10月22日金曜日

帰り道のみちくさ

帰り道、いろいろ寄り道をした。車で旅行するメリットで、気ままに見て回ることができる。

まず、立寄ったのは、吉野ヶ里遺跡。長崎自動車道の東脊振(ひがしせふり)ICを出て、5分ぐらいのところだ。何年か前に大規模な古代の集落が発見されたとニュースになっていた、ぐらいの事前知識しかなかったけど、まあ一度は行ってみたいと思っていた。

行ってみると、その広さに驚かされる。広大な平原が広がっている。その真ん中に遺跡の公園がある感じ。ホームページによると73.7ヘクタールというから、正方形とすると一辺が850メートルになる。当時の竪穴式住居や高床式住居がかなりの数、復元されている。北内郭と呼ばれる区域に行くと、主祭殿という巨大な建物がある。中では当時の祀りの様子が人形を使って再現。なんとなく神聖な印象を感じることができるのです。

琵琶湖周辺まで戻ってきて、その夜、草津で一泊。ここから行ける面白そうなところないかと、ホテルで観光案内をみる。甲賀の里忍者村とある。じゃあ、ここに行ってみよと、まあ、ほんと場当たり式旅行計画。


子供の頃、テレビの隠密剣士を興奮して見ていた。伊賀忍者、甲賀忍者、そして風魔一族だっか。悪役の忍者達を正義の味方、着流しの剣士が颯爽と切り捨てるというような内容だった。忍者は手裏剣を投げ、剣を前後逆に握っていた。それがかっこよかったなあ。

村では、忍者道場と言って、師匠について忍者修行をすることができる。崖を登り、塀を渡り、壁をつたい、井戸ぬけをして、最後は水ぐもだ。これを全部終えると免許皆伝の巻物をいただくことができる。聞けば修行に年齢制限はないという。貸衣装でチャンと身なりを整えた忍者ちゃんや忍者君達とおじさんも修行を楽しむことができる。

からくり屋敷もある。どんでん返しや囲炉裏下の抜け穴などがあって面白い。それらを解説してくれるアルバイト「くのいち」もいる。

2010年10月21日木曜日

活気ある長崎

数年前、長崎でタクシーに乗ったら、運転手さん「もう長崎はダメだ。修学旅行も激減。観光客も来ない」と散々嘆いていた。なんとなく町全体が沈んだ印象だった。

ところが、町全体の活気が戻っている。原因は、人の流れが多い。至るところに人が溢れていた。まあ、そういうシーズンだったのか、修学旅行の小学生、中学生、高校生、制服組や私服組、様々なグループがウロチョロしていた。

そして、訪れた亀山社中、そこはおじさんやおばさんの団体がウヨウヨ。ボランティアだと思われるおじさん案内人が楽しいそうに展示物の説明。「龍馬の着物についている紋は、組合せ角に桔梗紋と言います。またの名前を違枡(ちがいます)桔梗紋です。こちらの方が覚えやすいですね」なんて解説をしてくれています。

法事で会った親戚のおじさんたち、「この人気も今年限り。龍馬伝が終われば、お終いよ。みんな、今年中にしっかり稼がないと、、」と言ってました。我々も、龍馬伝人気に乗って亀山社中を見に行こうと思ったわけだから、テレビの影響ってすごいよね。我々の世代は、長崎と言えば、さだまさしだったけど、今は完全に福山雅治に世代交代しちゃいました。

頑張れ、長崎!来年も、、。

2010年10月20日水曜日

覆面パト

実は、帰路にスピード違反で捕まってしまった。長崎自動車道の武雄JCTを過ぎたあたり。時速27kmオーバーで、罰金18,000円。3点減点だ。パトカーは佐賀県警3ナンバーの白いクラウンだ。

頭の来たのは、どこまで行っても1,000円高速料金で、懸命にした節約がパアになったことだけではない。 その覆面パトの挙動がおかしいからだ。

そもそも、そのパトカー、ジャンクション分かれ道の安全地帯を跨いで、我が進路に侵入してきた。追い越し車線背後には他車がいたので、当方は減速してその進入車の後についた。ここで覆面パトだと見破れば良かったのだが、そうはいかなかった。その車、追い越し車線に出たが、スピードを上げるわけでもなく、また走行車線に戻って、我が車の前をチョロチョロ。

ヨイヨイのおやじドラバーだね。君子危うきに近寄らず。なるべく早く抜き去ろうと思わせる罠だったのか。頃合いを見て、スピードを上げて抜いた途端に赤いランプがクルクルと背面からついてきた。

パトカーの後ろに乗せられて、曰く「急いでいたのですか?」と。もう、こちとらぶち切れそう。この車がこのスピード違反の原因を作ったのだと、大きな声を出してしまった。不満がある場合、この罰金を払わなければ、裁判になります。そこで争う事になります、と。こちら長野に住んでいるわけだし、裁判をする時間もお金もありません。そんなことするわけありません。

違反切符にサインをくださいと先方は飽くまで低姿勢。「こちらの言い分を書いてもいいですか」と言ったら、一寸考えて「いいですよ」と。なので、「このパトカーが、極端な進路変更をして、ウロチョロするので、早く抜きたかった。」と書いて、しぶしぶサインをした。

ここ2,3日、その時の悔しさが蘇ってくる。覆面パトの存在そのものが不満だ。確かに法律違反のスピードを出したのは認めるけど、それを誘引したのは、そっちだろって思いがぬぐえない。法律を犯してしまった、反省しますっていう気分になれず、損した、はめられたの被害者意識しか残らない。覆面パトってやつは、正しい順法意識を育てることにならないように思うのです。プンプン。

2010年10月17日日曜日

2,200kmのドライブ

往復2,200kmの旅からもどった。留まった地名で言えば、原村、滋賀、長崎、佐賀、草津、甲賀、愛知、原村と車で周って来た。

まずは長崎までの道のり。11日(体育の日)夜8時に原村を出発し、諏訪南ICから高速道路へ。真夜中24時に琵琶湖脇の多賀SA内にあるホテルに到着。そこで就寝。翌朝8時半に出発。何度か休憩を挟んで、午後6時半に長崎の着いた。ここが長かった。就寝を挟んで、往路14時間も車の中で過ごした。飛行機ならアメリカまで行っちゃう時間だ。

どこまで行っても1,000円高速料金を利用しての移動なので、サービス・エリア内にあるホテルの存在はありがたい。1,000円適応受けるためには、祝日が終わる前に高速に入ることが必要。そして、なるべく長く高速道路を走り続けること。この条件で見つけたのがこのホテル、レストイン多賀

行ってみたら、チャンとサービスエリア内にありました。部屋の感じは廉価なビジネスホテルかな。ユニットバスもついているけど、大浴場も別にあるので、当然そちらを利用した。他に仮眠のとれる休息所もあって、そちらのお客さんも大浴場を利用できるのだ。若いライダース風の人がちらほら。ローコストで自由な旅を楽しんでいるのだろう。


シニア世代としてはやはり、布団で寝たい。部屋は狭くても目を瞑れば、気にならない。静かな睡眠を満喫できるのです。

高速出口の長崎。果たして、高速料金は2,100円でした。大都市近郊区間を通過するために1,100円が余分に必要だった。どこまで行っても1,000円じゃあなかったけど、正規料金2万円超に比べれば良しとしよう。

2010年10月7日木曜日

蝶と蛾

チョウチョは良いけど、ガはイヤ!って言う人は結構多いようだ。ニョウボ殿もそうだ。機能的な外観はほとんど同じなのに、ナゼだろうと私は思う。

曰く、色が気持ちが悪い、鱗粉を撒き散らす、夜に飛ぶ、胴が太い、羽が揃わないなどなどの理由。が、どれもいまいち説得感がない。やはり、脳内にあるイメージが負側に倒れているいるのだろう。チョウは正のイメージがあるのだ。野菜を食い荒らす青虫の親だと思うと、ヒラヒラ優雅に舞っている姿も憎らしいと我思う。

まあ、そういう私も、アヒルは良いけど、鶏は苦手。特にトサカの張った大きな雄鶏はどうしても怖いと感じてしまう。育った実家は、かつて隣が鶏舎で、夜明けと共にコケコッコの声を聞いていた。きっと幼少の折、ニワトリさん関連で、とても怖い目にあっているからだと自己分析をしている。自給自足を目指す身として、鶏はとても良い題材なのだが、今一踏み切れないのだ。

先日、玄関にガが何匹も停まっていた。外灯を夜中じゅう点けたままにしたので、その灯りに寄ってきて、日が明けてもそのままそこに留まっていたようだ。

なぜかジッとしているので、簡単に捕まえることができる。その顔をマジマジ見ると結構お茶目な表情をしているじゃあませんか。ずんぐりした胴体、つけ物のような手足、くりっとした目、繊細な触角。局所的にはかなり可愛い姿だと思うのだが、どうでしょう。

2010年10月6日水曜日

ヒマラヤン・カーキー

購入にあたりいろいろ選択があるが、その中でも大きな決断は色。あまり派手じゃなく、落ち着いた感じ、そして市場にあまり出回っていない色を希望とした。

かつて、乗った車の色は、シルバー、赤、紺、そして廃車したセフィーロは極濃い緑だった。気分的にはこれらも避けたい。

結論はヒマラヤン・カーキーという色にした。この車種の最初の発表時にはあったが、マイナーチェンジで一旦は絶版になった。そして今回のマイナーチェンジで復活した色だという。カタログで見ても実感がわかなかったが、緑系の色じゃないの。軍服の色だよねと納得した。

ところがこのカーキーっていう色は、いい加減というか幅のある色合いなのだ。世代によっては、思いが違うようなのだ。本来、カーキーって、土ほこり色のことを言うのだそうだ。若い世代はそれに近く、もっと茶色がかった土色のイメージを持っているらしい。我々世代は、 くすんだ緑色と思っている。

改めてカタログを見ると、茶色にも見えるし、緑にも見える。ホント、どんな色が来るかちょっと不安だった。

まあ、結果的には、思い通りのくすんだ緑であった。見方によっては、在日米軍の軍用車って言う感じも否めない。今のところはワックスが効いていて、ピカピカ・ツルツルなので、そのイメージは少ないけど、これでツヤが無くなったら、迷彩色の戦闘車になっちゃう。小まめに手入れをしなくちゃ。

2010年10月5日火曜日

新車が来た

13年乗ったセフィーロ・ワゴン、いろいろな箇所に故障が目立ってきた。ボディーは凸凹、テールランプも割れていてテープで補強などなど、修理代がかさんで来た。燃費も悪いし。消費促進の減税や補助金の今が買い時と決断をしたのが8月。いろいろ検討の結果、決めた車が本日無事納車となった。

今の時代やはりエコな車だ。購入価格が多少かかっても、維持費がやさしい方が良い、そして減税100%で補助金の出る車が望ましい、と検討時の方針にした。なので、ハイブリッドだよね、だからプリウスかインサイトのどちらかと当初決めていた。両方とも4WDじゃないけど、もう一台所有の軽トラは4WDだから何とかなる。

と、思っていたら、ニッサンからクリーン・ディーゼル6ATが発売された。試乗したらかな良好な乗り心地。心配した振動や騒音は許容範囲。なんと言っても、クリーンで燃費の良いエンジン。マフラーにハンカチを被せても黒くならないと言う。ガソリンと比べて10%ぐらい燃費が良いし、軽油はリッターあたり20円は安い。

車種決定の決め手は、当地の地理的な形状が大きい。ここ原村は、八ヶ岳を頂点に西に向かってダラダラと下る地形である。よく買い物に行く茅野市や諏訪市は、 400m下った土地にある。行きはほとんどエンジン・パワーは要らない。でも帰りは、上り坂が延々続くわけである。

ハイブリッド車だと、途中で電池切れとなり、エンジンの力だけで登ってくることになるだろう、多分充電のしながら。これってハイブリッド車の正しい使い方なのかどうか。

トルクの大きいディーゼル・エンジンは、上り坂もストレス無しだ。2000回転がピーク・トルクとなるエンジン特性だ。多少の登り坂は平地と変わらない加速ができる。

2010年10月4日月曜日

給食

ちょっと前の話。何年ぶりかで、学校給食をいただくことになった。献立は鳥の唐揚げ、キムチ・チャーハン、団子汁。デザートにゼリーもついている。量が足らない場合は、実はお代わりもいただける。全員に配り終わっても残りがあるようで、それを希望者で分けるわけだ。人気のゼリーや、唐揚げはジャンケンで。おいしくいただきました。

でも、一点問題が、、、、箸じゃチャーハンは食べにくい。パラパラ落ちるので。見回すとみんな起用にチャンと食べていた。負けないよう頑張った。
今年度から全国的に小学校も英語教育が始まった。原村の小学校では、以前から試験的に英語教育を始めていて、ニュージーランドから派遣された先生が直接授業を運営している。それを補助するボランティアを月一のペースでやらせてもらっている。

この日は、特別で、ニュージーランドから来た交換留学生たちと交流会が開かれた。その一環として、いっしょに給食をいただくプログラムだ。会話の仲立ちをサポートするという名目で我々サポート隊も給食のご相伴にあずかった。感謝。
午後、小学6年生たちの和太鼓の演技は迫力があって、とても良かった。我々も楽しみましたね。
その後、ニュージーランドの子供たちも和太鼓との初体験。リズムを一生懸命教える子。それを一生懸命聞く子。とても良い文化の交換となったと思うのです。

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