2015年1月16日金曜日

雪かき

今シーズン3回目の雪かきだったか。


東高西低の冬型の気圧配置だと、この地には雪は降らず晴天になることが多い。雪は北アルプスに山々に落ち、冷たい風だけがこの地を襲う。なので、気温は低い。零下15度を超えて冷える。寒いが雪はそんなに多くないのが、この地の特徴だ。西風が強い日は、特に冷えるのだ。


太平洋側を低気圧が発達しながら通過する気圧配置になると、この地でも雪となる。関東地方でもこの場合は雪なることが多いとか。この低気圧は南岸低気圧と呼ぶのだということを最近知った。昨年2月の大雪もこのパターンだった。東京が雪ならこの地も雪だ。通年を通して、関東地方の天気がほぼ、この地の天気だ。テレビの天気予報は、いつも長野の天気はあてにならず、東京の天気を見ている。

さて今回も、南岸低気圧が来た。予想通りちょっとした量の雪となった。そんな場合は、雪かき出動だ。ご近所所有の雪かき専用のトラクターがある。それでご近所が共同で運用していて、主要道路までの支線の雪をかくのだ。ついでに我が家の駐車場やら玄関前もざっとかいてしまう。ほんとありがたい。

 

そんな様子を、タイムラスプ撮影をしてみた。昨日の雪が降る様子と、今日の午後の様子。湿った雪が木の枝について、段々下がってくる様子が見える。

2015年1月9日金曜日

へきなん美人

正月4日帰省をした。お盆と正月にある恒例の飲み会に出席に。いつから始まったのかもう40年近くになるのか。高校時代の同窓生が集まり。偉大なるマンネリ。だけどそれが楽しいというか嬉しい。

最初のころは誰が結婚する、子供が生まれたなどの話題。次第に子供の進学就職に話題が移り、さらに親の介護やら、年金の話になった。そして今回は、誰が先に逝くかの話題がチラホラ。同じ世代が集まり共に年月を重ねてきた仲間たち。ありがたい存在だ。


会の中盤になると、これまた恒例のビンゴゲーム。カードが配られ数字が読み上げられる。以前はいろいろな景品が用意され、早く上がればそれなりの景品がもらえたのだけど、最近は早くても遅くてもみんな同じ景品。これってビンゴする意味あるの???っていう質問はタブーなのだ。

今年は、ちょっと異色の景品だった。それは地域特産の農業産品「へきなん美人」。おひとり様、10㎏の箱をど~んと丸ごとお持ち帰りだ。

砂地の畑で良く育つのだそうだ。この時期まさに旬なのだと言う。霜にあたったニンジンは甘さをまし、よりおいしくなるとか。景品に選んだ幹事さんが言うことには「ジュースにするとおいしいよぉ~」と、「残った絞りカスは、カレーに入れて全部いただくのだ」と付け加えていた。


参加者の中に、「俺はいらん!!」という太っ腹がチラホラ。そんなモッタイナイと俺。「じゃあ持っていけ!!」と、お二人からいただきました。そんなことから、当方30㎏のニンジン。保管してチャンと消費いたします。感謝!!


へきなん美人のホームページを見れば、いろいろなレシピの載っている。子供のころ法事なんかで人が集まるときに良く食べたニンジンごはんもある。懐かしいのでこれも作りましょ。

2015年1月7日水曜日

免許更新3年後また免許更新

もう、3年だ。そうまたまた運転免許証の更新だ。優良運転者ではないので免許の更新は5年ではない。前回は、地元の警察署で手続きをしたのだけど、これまた優良運転者ではないので別の日に講習会をうけなくていけない。二日がかりのイベントになってしまう。

今回は、塩尻にある運転免許センターにいくことにした。車で1時間ほどの距離だ。これなら半日で更新が完了するはず。


違反歴のあるわが身は今回もまたまた3年更新のブルー免許。さらに2時間の講習会を受けなくてはいけないのは、前回と同様。どうも納得がいかない。異議を申し立てることもできるが、時間がかかるしねぇ、、、。自分のプライドを満足されるためにその価値があるかどうか、、、、。でも不満は吐き出したい。

講習会に出席はするが、今回は後方窓際に座り、そのほとんどを窓の外を眺める、方杖で居眠りにて細やかな抵抗をすることにした。が、声は聞こえてくるのでついつい聞いてしまう自分が少し情けない。

でも、講師の先生。「夜勤など、仕事の関係で2時間もの講義を聞いていられず、どうしもて寝てしまう人も中にはいらっしゃるでしょう。その場合は、イビキなど他の人に迷惑にならないようにして下さい」って、ハッキリおっしゃっているじゃあありませんか。やはりこれって、講義のよる情報移転よりも、違反者への、時間拘束によるペナルティー感だけの処置なんでしょうね。

周りを見渡せば、堂々とうつ伏せで寝る人、本を読む人、外を見る人、結構わが身と同じ細やかな抵抗をしている人がいましたねぇ、、。

やっと、講義が終わり、ふと隣をみると、教則本が置きっぱなしになっている。そう俺も、、、、と教則本を机の上ではなく、下にそっと置きっぱなりで帰ることにした。これも細やかな抵抗。

それにしても、運転免許センターっていうところは、なんか独自の雰囲気があるなあ、、、、なぜ?って思って観察していたら、気が付いたことが2点。お客様対応がみんなオジサンたちだ。案内係り、講師、視力検査担当などなど。オジサンたち、以前の職種は交通係だったのだろうか。女性はほぼカウンターの向こうで事務処理をしている。

もう一点は、ハッキリとは言えない独特の雰囲気。「お上が庶民に許可を与える感」かな。受付時間13:00~14:00。100人を超える人がこの時間に集まり、窓口に列を作る。すべてが流れ作業で一括処理をされていく。許可する側の効率が最優先なんだろう。(1)書類作成(2)書類提出手数料(3)視力検査(4)免許証台紙作成(5)講習会(6)免許発行と六つもの窓口に並んだ。顧客満足を考えればもっと違う処理方法あるように思う。

まあ、これにて無事免許更新完了。次回はまた3年後。

2015年1月1日木曜日

2015年正月

年が明けて2015年となった。昭和27年生まれなので、平成もそれと同じだけ年を重ね27年となったことで思うことがある。

昭和ヒトケタ生まれの人を見ると随分と年上の人に見えたもの。ましてや大正や明治生まれの人は我々の祖先をみるような感じだった。が、今自分が反対側にいるわけで、若い人の視点はそんな風に見えるのだろう。自分にとって、昭和1~27年と平成1~27年の27年間は長さに膨大な違いがあるように感じるのだ。


平成の27年間は一度に事が起こったように捉えていて、時系列で記憶されていないような気分。忘れていることも多いが、思い出すものはその経った年数によらず鮮明だ。

さて、こちら移り早6度の新年を迎えた。今年2月で、この家も満5年となるわけだ。未だ完成に至らず、頭ではあれもこれもやらなければと思いながらも動かない体。イライラだ。


そして、昨年の正月の我がブログを見てみれば、そこに書いてある新年の抱負も見事に打ち砕かれ、イライラが増す。

そんな少しイライラで反省満載の正月を迎えている。

2014年9月7日日曜日

草刈機修理

2週間前だろうか、草刈機で庭で草刈りをしていると突然エンジン停止となった。オークションで中古を購入したのが5年前、その時確かキャブレターのダイアグラムというパーツを交換してこれまで快調に稼働していた。後でわかるのだが、原因は、雨水がガソリンタンクに侵入したためたっだけど、この時点では、なぜ?、、、ていう感じ。ダイアグラムは、ゴム製だから経年劣化もあるし、その可能性を思った。

日を改めて、キャブレターを分解してみると、やはりダイアグラムにちょっと皺が寄っている。これが原因か。でもまだ柔らかいし、機能はしているみたい、と、再組立。やはりダメ。キャブレターに、直接ガソリンを注入すれば、エンジンは一瞬動くので、原因は燃料が供給されないことだと断定。


分解、組み立てを何回か繰り返したが、結果は同じ、、、、とふと、キャブレターに水滴があることに気が付いた。そう言えば、タンクのガソリンが濁っているぞ。そうか、水が混入か、と納得。


タンクを空にして、ガソリンを入れ替えたら、エンジンはかかるけど、回転が上がらない状態。諦めて、ダイアグラムを、ヤフー・オークション経由で注文すると、三日目に到着。早々に取り換えてみた。


果たして、エンジン好調!!となった。早々に庭の草刈り!!と一周して戻ってきたら、またまたエンジン不調、、。そのうちにまた、かからなくなった。そう言えば、分解組み立てをやっているうちに、キャブレターのエンジン側ガスケットがだんだん破れてきていたなあ。あれが原因かも。今度はアマゾンで、ガスケットを注文。

そして、昨日そのガスケット到着。カッターで工作して、型に切り抜き。再組立。結果は絶好調となりました。2週間の草刈機修理プロジェクト無事完結。でも、最初から雨水と見抜いていれば、もっと簡単だったのか知れない。まあ人生そんなもの。

2014年9月5日金曜日

蜂の一刺し その3

畑で、インゲン豆を収穫していた。突然、蜂がブウウ~んと、ホバリングをしているのに気が付いた。黄色い大きい奴だ。いつもならジッとしていれば、やり過ごせるので、今回もそのつもりだった。でも、そうじゃなかった。

敵はやる気ムンムンの攻撃モード。こちらが後退りした瞬間、飛び込んで右手を一刺ししてどこかに行ってしまった。中指と薬指の間に針を通すような痛みが走った。

移住5年、4回ほど蜂に刺されている。これまでは、あしなが蜂だったけど、今回はスズメ蜂のような気がする、はっきりはしないけど。黄色の目立つ色をしていたように思う。知らぬ間に奴のお仕事の邪魔をしたのだろうか、当方にとっては、突然の出来事だった。

右手は次第に腫れてきた、30分もするとグローブのように。知識からすると、取りあえず毒を絞り出すこと。冷やすこと。心配はアナフィラキシー反応。脈は乱れてないか確認。今のところ、正常に見える。この状態が30分も続けばOKかなと、、、。心配をしながらジッとしている。1時間が経って鼓動は普通なので、大丈夫とひとまずは安心。


でも、手は経験したことのない有様になった。水を張った洗面器につけている間は痛みは無い。でも、あげて5分もすれば、熱を持ってきて、じわっとした痛さが手に広がる。洗面器に逆戻りだ。手の甲の皮が突っ張って、グウに握れない。いつまでこの状態が続くのだろう?

最近、田舎で不幸があり、草刈機が故障したり、体調不調などちょっと負の連鎖。そんな時は自重自重。慎重な行動に心掛けましょ。

2014年8月18日月曜日

ハワイ旅行

母親の持ち物を見ていたら、アルバムや未整理の写真に交じって、手紙がひと箱にしまってあった。当方が米国にいたころにやり取りしたものだ。こんなにいっぱいあるのか、そうだったか、、、という感じ。自分ではほとんど記憶にない。


懐かしいので内容をチェックしてみた。中から死んだ親父の手紙で、ハワイ旅行の日程が出てきた。そうそう、当方がロス滞在中に、中間点であるハワイで会おうと両親で出かけてきたことがある。30数年も前のことだ。

親父は、55歳定年となり、子会社に嘱託で勤務する身だった。60歳直前だったか。この1年半後に親父は脳梗塞で死んでしまうことになるとは、誰も思っていない。

手紙を見ると、日程のほとんどが自由行動、食事なしの設定になっている。たった5日だったけど、いろいろ記憶に残っている。
  • 到着後すぐに、お袋が不似合いなムウムウを購入して自慢げに着てたこと。ちょっと長くて、引きずりそうだった。帰国後に着るチャンスはあったのだろうか?
  • 親父はもちろんアロハ・シャツ。あれもどうしたんだろうなあ
  • その親父、2年ぶりに見ると随分老けていて、足取りもヨチヨチしている感じ
  • スーパーで巻き寿司やパイナップルなどのフルーツを買い込んで、公園の草むらに座り食べた昼ご飯
  • ハナウマベイで日光浴する白人の子供を見て、細い顔ねぇ~、、って叫んでいたお袋
  • アラモアナ・ショッピング・センターで週末に行われる子供のフラダンスショー。4,5歳のダンサーをお持ち帰りしそうなぐらい抱いて撮った写真
  • ホテルでは、キングサイズのベットで、文字通り川の字
  • ポリネシアン・カルチャーセンターでの夜のダンス・ショー
中でも一番の思い出は、レストラン紅花での夕食だ。鉄板に座り、両隣それぞれアメリカ人と同席だった。フレンドリーな人たちで、興味ありげにこちらをチラチラ。両親が日本から会いに来たと説明した。親父が身振り手振りで箸の使い方を説明。それが高じてジャパニーズは何でも箸だけで食事をする、、と。じゃあアイスクリームも?となった。デザートが運ばれたので、早々にデモンストレーションをご披露申し上げた。両親にとって、外国人とのコミュニケーションが楽しかった様子。

最後の空港での別れはちょっと泣けた。今となっては本当に良い思い出だ。