2012年1月4日水曜日

手紙 親愛なる子供たちへ

実家に帰省の折、PCを借りて高校時代の集まりの宴会場所をチェックしていた。ふと顔を見上げると毛筆で以下の詩が壁に貼ってあった。

実は兄夫婦といっしょに住む母の認知症が進んでいて、家族はこの数年その介護に苦労をしている。本人も確信はないもののある程度は自覚しているようでとても苦しい思いをしている。この世代の人達は戦争を体験し、戦後を体験し、体を張って頑張って働いて今の生活をやっと手に入れたのに、老後もまた苦しい思いをしなくてはならないのかとの思いだ。

本人も辛いが、その周りの人も大変な苦労だ。子供がえりしていて、自分の要求が通らないとなると実力行使。大声で叫んだり、物を投げたり、暴れたり。お世話するのは精神的にも肉体的にも大変。怒りを抑えるのもひと苦労だ。

その状況を、少しでも改善しようとこの詩を壁に貼って眺めて、自らを沈めているのかと想像すると本当に頭が下がる思いだ。


手紙 親愛なる子供たちへ

年老いた私がある日まで私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても靴のひもを結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい
あなたと話す時間で話を何度も何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい
あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本の
あたたかな結末はいつも同じでも
私の心を平和にしてくれた
悲しいことではないんだ消え去ってゆくように見える
私の心へと励ましのまなざしを向けて欲しい
私の姿を見て悲しんだり自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらいことだけど
私を理解して支えてくれる心だけを持って欲しい
きっとそれだけでそれだけで私には勇気がわいてくるのです
あなたの人生の始まりに私がしっかり付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい
私の子供たちへ
愛する子供へ



兄に尋ねたら、これは歌だと教えてくれた。

帰ってインターネットで調べると、元々はポルトガル語で書かれた詩があって、それを訳してメロディーをつけたのだと言う。壁に貼ってあった詩は原詩とはチョット違うところもあるようだけど、気持ちは十分通じる。樋口了一というシンガーソングライターが歌っている。しばらく当方のBGMにさせていただきます。

6 件のコメント:

アウトドア さんのコメント...

いい詩ですね。初めて知りました。
少しでも現実とのギャップが埋められればいいですね。
私も95歳の実家の母を思いブックマークに入れました。
ありがとうございました。

Rural Planner さんのコメント...

我々世代の多くの人が持つ共通の問題。

彼らのお陰で今の我々があるのは分かっていても、直面する人達の苦労や負担はとても大きい。少しでも心安らかになれば良いと思います。

hiro さんのコメント...

涙がこぼれます。

親の想い、子供への愛が溢れていますね。

子もまた親への愛はあるはずなのに負担が大きいと一瞬無くなってしまうのもまた現実の事。
幸せを願うのみです。

Rural Planner さんのコメント...

お言葉ありがとうございます。

子供の頃は守ってくれた人たちと、いつの日か知らないうちに立場が逆転してしまった。守られる人も苦しいけど、守る方はそれ以上に大きな気持ちを持たなくてはいけない。それなりの思いがなければ辛いばかりです。安らかな生活が続きますよう願いたい。

イッシー さんのコメント...

いい詩ですね。心に沁みて、涙が出てきます。

私は親としては初心者で、子供としては充分年齢を重ね、ベテランだけど、3兄弟の中でも、私はろくに親孝行もせずに好きに生きている感じです。なので、この詩を読んでなにかうしろめたいというか、自分はだめだなあとあらためて我が身を振り返ることができました。愛についてどう表現してういくのか考えたいと思います。

直面する問題を「愛」の一言では片づけられませんけれど、つらい時もご家族、一族で乗り越えていけるといいですね。

Rural Planner さんのコメント...

私も同じ立場です。二人兄弟の次男で、大学卒業後から離れて生活をしていて、親の面倒は全部長男にお任せ。口では心配と言いながら実質的には何の役に立っていない。

自分としては自らの生活をチャンとする事がまずは親孝行の第一歩。そして遠くにいてもできる事は頻繁な連絡と考えています。思いが通じているかどうかは自信はありませんがねぇ。