2014年8月18日月曜日

ハワイ旅行

母親の持ち物を見ていたら、アルバムや未整理の写真に交じって、手紙がひと箱にしまってあった。当方が米国にいたころにやり取りしたものだ。こんなにいっぱいあるのか、そうだったか、、、という感じ。自分ではほとんど記憶にない。


懐かしいので内容をチェックしてみた。中から死んだ親父の手紙で、ハワイ旅行の日程が出てきた。そうそう、当方がロス滞在中に、中間点であるハワイで会おうと両親で出かけてきたことがある。30数年も前のことだ。

親父は、55歳定年となり、子会社に嘱託で勤務する身だった。60歳直前だったか。この1年半後に親父は脳梗塞で死んでしまうことになるとは、誰も思っていない。

手紙を見ると、日程のほとんどが自由行動、食事なしの設定になっている。たった5日だったけど、いろいろ記憶に残っている。
  • 到着後すぐに、お袋が不似合いなムウムウを購入して自慢げに着てたこと。ちょっと長くて、引きずりそうだった。帰国後に着るチャンスはあったのだろうか?
  • 親父はもちろんアロハ・シャツ。あれもどうしたんだろうなあ
  • その親父、2年ぶりに見ると随分老けていて、足取りもヨチヨチしている感じ
  • スーパーで巻き寿司やパイナップルなどのフルーツを買い込んで、公園の草むらに座り食べた昼ご飯
  • ハナウマベイで日光浴する白人の子供を見て、細い顔ねぇ~、、って叫んでいたお袋
  • アラモアナ・ショッピング・センターで週末に行われる子供のフラダンスショー。4,5歳のダンサーをお持ち帰りしそうなぐらい抱いて撮った写真
  • ホテルでは、キングサイズのベットで、文字通り川の字
  • ポリネシアン・カルチャーセンターでの夜のダンス・ショー
中でも一番の思い出は、レストラン紅花での夕食だ。鉄板に座り、両隣それぞれアメリカ人と同席だった。フレンドリーな人たちで、興味ありげにこちらをチラチラ。両親が日本から会いに来たと説明した。親父が身振り手振りで箸の使い方を説明。それが高じてジャパニーズは何でも箸だけで食事をする、、と。じゃあアイスクリームも?となった。デザートが運ばれたので、早々にデモンストレーションをご披露申し上げた。両親にとって、外国人とのコミュニケーションが楽しかった様子。

最後の空港での別れはちょっと泣けた。今となっては本当に良い思い出だ。

2014年8月17日日曜日

家系図

久しぶりに親戚のみなさんに会う機会を得た。10年ぶりの人、20数年ぶりの人様々。子供のころよく遊んだ従兄弟たち。「前回会ったのは、確か叔父さんの葬式だったね」なんて会話。大きくなっちゃったら、葬式ぐらい大きなイベントでもないと顔を合わせることもないのか。特に遠くに住まいを構える身としては、本当に久しぶりだ。

あちらも歳を重ねて容姿に変化を来したが、こちらも同じ。最初は誰?っていう感じだったけど、じっと見ていたら面影が、、、、、と言われる始末。


従兄弟の一人が、引退後自由になった時間を使って我が家の家系を調べたのだという。その集大成の巻物を披露していただいた。長さ実に9メートル。初代は出没は不明だけど、二代目の没が明和8年とある。調べれば、西暦1771年のこと。江戸時代の中期後半という頃か。当時の将軍は徳川家治。学校で習った田沼意次(と言えば賄賂政治か)が活躍した頃らしい。240年余も遡る由緒正しい家系なのだ。

その家系図にチャンとわが身の名前も載っていました。女房も子二人も。そして、予てより聞いていたけど、我が父親は、実はバツイチだった事実もそこに記入されている。この目でその事実を確認するのは初めて。まだまだ、知らないことがあるもの、、、と。

2014年8月16日土曜日

出穂

稲の穂が出てきた。田んぼの色も緑から徐々に黄色に変わってきている。5月の田植えから2か月半。2~3日毎の水管理が順調に進んで、次第に成長する様を見るは楽しい。


今年は冷夏かもしれないとの当初の予報も、見事に外れ、7月、8月初めは猛暑となり、稲にとってはありがたい環境となった模様。


台風11号はこの地に大荒れをもたらした。森に入ると枝が落ちているし、倒れている木もある。原村の広範囲に停電の原因になったようだ。田んぼに関しては、さしたる被害もなく、通り過ぎた。

2014年8月15日金曜日

喪失感

帰郷はお盆のためではなかった。母親が心不全で突然他界した。享年86歳。10年前に認知症を発症し、ここ2年は施設にお世話になっていた。面会に行ったが、ほとんど母は無反応だった。残念だけど年取った息子の顔も認知できない様子だった。1歳になったひ孫を連れていた時に、ニッコリして手を伸ばしてきた光景は忘れられない。そんなに遠くない時期に別れがくるとの覚悟はしていた。


とは言っても、実際にその日を向かえてみると、喪失感は否めない。通夜葬式とあわただしく三日間を過ごして帰ってきた。

内輪に向けての兄の最後の挨拶「母親の思い出は2つ。いっぱい殴られたことと、おんぶされたその背中です」と。兄は敢えて強く殴られたと言った。

確かに頻繁に叩かれたけど、殴られた感じではない。それに自分には背中の思い出もない。次男である自分の思い出とは違っていることに意外な感じがした。3歳違いの兄弟で、母親との関係に違いがあったのだろうか?と考えている。