こちら原村に1月付けで住民票を移した。自動車登録の住所変更は一昨年の引越しの時にしなくてはいけないのに後回しにしていた。こちらで横浜ナンバーで走っていては訪問者みたいでよろしくない。この車、今年の9月には購入後満13年となり買い替えの時期だから、もう横浜ナンバーのままで、という意見もある。が、2回も引越しをしたから自動車税通知の転送も効かなくなる。これはちょっとヤバイかも、と思う。
道路運送車両法では、引越し後15日以内に変更をしなくてはいけいない。違反したものには30万円以下の罰金という厳しい規定だ。さらにヤバさが増す。
処理を代書屋さんに依頼することも可能だけど料金が3万円もすると分かって、即決で自分でやることにした。申請方法を調べてみてまず驚いたのは車庫証明。ここ原村は普通乗用車でも車庫証明は要らないのだ。なんというおおらかさ。そう言えば、以前借りていた原村のアパートは、部屋代は払ったが駐車場代は払ってなかった。2台でも3台でも停めるスペースがあったのに。
住所変更に必要な書類などは車検証、住民票、印鑑。今回2回も引越しをしているので、元の登録住所から新住所へのつながりが分かる証明が必要となる。これは戸籍の附票を本籍地から取り寄せることで可能になることを教えていただいた。
最寄の陸運局は松本なので、1時間弱のドライブ。窓口に行くと係の人が親切に手順を説明してくれた。以前のお役所の持つイメージからすると雲泥の差だ。書類記入のサンプルもラミネート・パックされたものを「あなたの場合はこれ!」と個別の条件に合わせたものを貸してくれる。ものの10分もすれば記入完了。後は手数料350円、申請書代50円。待つこと10分。あっという間に新しい車検証が渡された。
次はナンバープレートの交換だ。別の場所を指示され、そこで先に渡された書類と差し出すと、「ご自分でプレートをはずしてきて下さい」と。「プラス・ドライバー持ってますか?」「ええ~っ、持ってません」と言うと、「では、これをお使い下さい」と至れり尽くせり。
封印を破って、古いナンバーをはずす。12年と8ヶ月間ご苦労様でした。本当に長い間ありがとう。でもついにその4桁の数字を覚えてあげられなかった。ゴメン。ちょっと罪悪感。
古いナンバーを窓口に預け、しばらく待つと新しい番号のプレートを渡された。代金は1,560円と随分とお値打ちな感じ。またまた、プラス・ドライバーを借りて自分で取り付け。終わると、おじさんが後ろで待っていて封印をパチン。ボンネットを開けて車体番号を確認。これで全部完了。
申請をし始めて、1時間弱で全ての処理を終えることができた。代書屋さんに頼まなくて良かった。30万の罰金も取られずにすんだし。諏訪の地元ナンバーになることができた。めでたしめでたし。
外に出ると、車が何台も並んでいる。大きな建物に順次吸い込まれていく。車検を受ける車の列だ。住所変更が思ったより簡単にできたので、次は自分でやるユーザー車検に挑戦してみたくなった。
この後、すぐ隣にある軽自動車検査協会に軽トラの住所変更にいく。ここでもほぼ同じ流れで住所変更。ただ、元々諏訪ナンバーだったので、プレートの変更はなし。ものの30分で完了だ。
2010年4月15日木曜日
2010年4月11日日曜日
リビングの壁 完了
苦節2ヶ月と言ったら大袈裟かも。でもそう言いたい。長い長い2ヶ月だった。リビング・コンサバトリーの壁塗りとの格闘だ。
大工さんは、リビング・コンサバトリーに石膏ボードを張ってくれた。契約した見積りではそこまで。後は自営工事とした。少しでも廉価で仕上げたい。こちらとしては時間はいくらでもあるのだから、できることは全部自分でやる。と当時は意気込んでいた。大工さんたちが、壁塗りのために足場を組んでくれた。だから2週間もあれば内装はできると思っていた。
だが、、、だが、である。それはそれは遠い道のりだった。石膏ボードの継ぎ目やネジに目処を埋め、石膏系の下塗り材を全面に塗り、その上に最終的な壁となる漆喰を塗るとの3工程だ。壁の一番高いところは腰板の上から約4メートル、塗り面の平均高さは2.5メートルぐらいか。コンサバトリーやら押入れやら、壁面を一直線にならべると約30メートルにもなる。実に75平米もの広さになる計算だ。
でもやっとできた。途中、横浜や茅野から助っ人も来てくれた。その所為で、完成壁面の凸凹が増したが、そんなことは小さなことだ。とにかく、塗り終わった。
途中、呑み歩きやらどぶろくに溺れそうになった時期もあった、けどストレス発散も必要なのだ。床を掃いて、掃除機で吸って、モップで水拭きをして、これで埃まみれともおさらば。ありがとう。
漆喰は消石灰を固めたもの、と製品の説明書きがある。昔学校の運動場にラインを描く時に使う白い粉と同じもの。それに糊成分とヒビ割れ防止の麻(これをスサと呼ぶらしい)を混ぜたものだ。水で溶いて塗ると、耐火、耐水、耐候性に優れた壁になる。
製品そのままだと純白なので、それに黄色い顔料を重量0.4パーセント混ぜた。クリーム色の仕上がりになり、暖かい感じの部屋になったと思う。
建材屋のオヤジさんがこれを混ぜると、水引きがゆっくりになって塗りやすい、と何やら白い粉を勧めてくれた。
裏書を見るとセルロースを主成分とした糊のようなものだ。これを0.25パーセントの割合で混ぜた。漆喰は塗るそばから水分がなくなってしまい固まってしまう。これを水引きが良いというのだそうだ。それを少しでも遅くするためのおまじないだ。
素人にはありがたいおまじないだ。なぜなら、素人は何度でも壁を平らにしようとなぞる。なぞるけど平らにはならない。さらになぞる。でも、、、なのである。
そうは言ってもやった努力は認めて欲しい。こんな気持ちを2ヶ月持ち続けた自分を褒めたい。さあ、床張りに工程に移れるぞ。
大工さんは、リビング・コンサバトリーに石膏ボードを張ってくれた。契約した見積りではそこまで。後は自営工事とした。少しでも廉価で仕上げたい。こちらとしては時間はいくらでもあるのだから、できることは全部自分でやる。と当時は意気込んでいた。大工さんたちが、壁塗りのために足場を組んでくれた。だから2週間もあれば内装はできると思っていた。
だが、、、だが、である。それはそれは遠い道のりだった。石膏ボードの継ぎ目やネジに目処を埋め、石膏系の下塗り材を全面に塗り、その上に最終的な壁となる漆喰を塗るとの3工程だ。壁の一番高いところは腰板の上から約4メートル、塗り面の平均高さは2.5メートルぐらいか。コンサバトリーやら押入れやら、壁面を一直線にならべると約30メートルにもなる。実に75平米もの広さになる計算だ。
でもやっとできた。途中、横浜や茅野から助っ人も来てくれた。その所為で、完成壁面の凸凹が増したが、そんなことは小さなことだ。とにかく、塗り終わった。
途中、呑み歩きやらどぶろくに溺れそうになった時期もあった、けどストレス発散も必要なのだ。床を掃いて、掃除機で吸って、モップで水拭きをして、これで埃まみれともおさらば。ありがとう。
漆喰は消石灰を固めたもの、と製品の説明書きがある。昔学校の運動場にラインを描く時に使う白い粉と同じもの。それに糊成分とヒビ割れ防止の麻(これをスサと呼ぶらしい)を混ぜたものだ。水で溶いて塗ると、耐火、耐水、耐候性に優れた壁になる。
製品そのままだと純白なので、それに黄色い顔料を重量0.4パーセント混ぜた。クリーム色の仕上がりになり、暖かい感じの部屋になったと思う。
建材屋のオヤジさんがこれを混ぜると、水引きがゆっくりになって塗りやすい、と何やら白い粉を勧めてくれた。
裏書を見るとセルロースを主成分とした糊のようなものだ。これを0.25パーセントの割合で混ぜた。漆喰は塗るそばから水分がなくなってしまい固まってしまう。これを水引きが良いというのだそうだ。それを少しでも遅くするためのおまじないだ。
素人にはありがたいおまじないだ。なぜなら、素人は何度でも壁を平らにしようとなぞる。なぞるけど平らにはならない。さらになぞる。でも、、、なのである。
そうは言ってもやった努力は認めて欲しい。こんな気持ちを2ヶ月持ち続けた自分を褒めたい。さあ、床張りに工程に移れるぞ。
2010年4月4日日曜日
御柱祭 二日目 山落し
御柱の二日目。山場となる山落しがある日だ。どうも前の御柱が一時間以上遅れているよう。山落しの現場に到着すると、前がまだ落ちていない。裏から落とすところを見ることにした。
マイクで後1メートル前に!、と声が掛かる。あと50センチ!、あと78センチ!、と随分細かい。そうしているうちにズルズルと柱が自ら意思を持っているように動き出し。あっという間に山を越えていった。歓声があがり観客の興奮が最高潮に。どうやらうまく行った様だ。
一時間ほどの昼休みの後、いよいよ我々の前宮2の御柱の番だ。午後1時に曳行再開。御柱の前と後にⅤ字に立ててある柱は、メドデコと呼ぶ。これに若者が乗って曳航の景気づけをする。実は予備のメドデコが用意されていて、場面場面によって付替えをするのだ。山落しでは、一番長い12人仕様が使われるとか。前メドに左右合わせて24人が乗る。やはり見せ場をより豪華に勇壮にしたいとの思いだろう。
でも準備が大変なのです。坂の下で今か今かと待っていても実はなかなか出てこない。木遣り衆が鳴きラッパ隊がパッパカパッパカ鳴らすのだけど、まだ出てこない。正直ちょっと飽きてきたなあ思った頃、引き綱が動きメドデコが現れてきた。24人乗った立派な奴だ。メドデコ衆が取替えを必死にやったんでしょう。これが倒れず真っ直ぐになったまま山落しができれば大成功だ。
その時が来た。先の御柱とは異なり微調整がないまま、ドドっと大きな柱が滑ってきた。斜度が緩くなったところでドンっと止まる。真っ直ぐきれいな山落しだ。会場に安堵のため息が流れた。良かった。
ところで、御柱の下は車輪がついているわけではなくて、直に道路に面している。それをズルズル引きずるのだ。10トンものを人の力で引きずるとは、合理的じゃないとも思うけど、それが伝統なんだから文句は付けられれません。ただ、そのおかげで引きずった後、木材が削れて道路のへばり付いちゃう。それをチャンと掃除する考慮も各御柱ごとにあることが何かうれしい感じ。トラックの後に設置されたブラシに思わずニッコリです。
マイクで後1メートル前に!、と声が掛かる。あと50センチ!、あと78センチ!、と随分細かい。そうしているうちにズルズルと柱が自ら意思を持っているように動き出し。あっという間に山を越えていった。歓声があがり観客の興奮が最高潮に。どうやらうまく行った様だ。
一時間ほどの昼休みの後、いよいよ我々の前宮2の御柱の番だ。午後1時に曳行再開。御柱の前と後にⅤ字に立ててある柱は、メドデコと呼ぶ。これに若者が乗って曳航の景気づけをする。実は予備のメドデコが用意されていて、場面場面によって付替えをするのだ。山落しでは、一番長い12人仕様が使われるとか。前メドに左右合わせて24人が乗る。やはり見せ場をより豪華に勇壮にしたいとの思いだろう。
でも準備が大変なのです。坂の下で今か今かと待っていても実はなかなか出てこない。木遣り衆が鳴きラッパ隊がパッパカパッパカ鳴らすのだけど、まだ出てこない。正直ちょっと飽きてきたなあ思った頃、引き綱が動きメドデコが現れてきた。24人乗った立派な奴だ。メドデコ衆が取替えを必死にやったんでしょう。これが倒れず真っ直ぐになったまま山落しができれば大成功だ。
その時が来た。先の御柱とは異なり微調整がないまま、ドドっと大きな柱が滑ってきた。斜度が緩くなったところでドンっと止まる。真っ直ぐきれいな山落しだ。会場に安堵のため息が流れた。良かった。
ところで、御柱の下は車輪がついているわけではなくて、直に道路に面している。それをズルズル引きずるのだ。10トンものを人の力で引きずるとは、合理的じゃないとも思うけど、それが伝統なんだから文句は付けられれません。ただ、そのおかげで引きずった後、木材が削れて道路のへばり付いちゃう。それをチャンと掃除する考慮も各御柱ごとにあることが何かうれしい感じ。トラックの後に設置されたブラシに思わずニッコリです。
2010年4月3日土曜日
御柱祭
御柱祭が始まった。7年に一度のイベントだと言う。だけど、ここに引っかかったは私だけ?寅年と申年にやるのだから、6年に一度じゃないの。と思ったら「数えの7年」なのだそうだ。今年が1年目、来年が2年目、7年目の申年が次回になるから7年だ。でもそれなら1度じゃなくて、2度あるじゃん、と言ったらヘリクツなのでしょうか。
ともあれ、土砂降りの雨の中、出発地である原村の一番塚というところまで歩いていきました。着いてみたら、まあ人の多さ。観光バスが何台も行ったり来たりしていた。ピストン輸送していたのだろう。目指すは前宮2という柱。本宮1、前宮1、本宮2、前宮2と並んでいるから4番目の奴。道路は既に柱が据え付けられているから、脇の道じゃあないところを歩くので、それが大変さを増す。
やっと着いて引き綱をいただきポジションにつくと、早々に接待係の人が、「良かったらどうぞ」と振舞い酒。煮干もポリポリ。今日は12kmほど、引っ張っていくことになるのだ。10トンを超える大木を、ズルズルと人の力で引きずるとは、想像がつかない感じだ。
進行係の人が白い旗を揚げ、木遣りの声が響き、「ヨイサッ」の掛け声で綱を引っ張ると動き出す、っと思ったらそうは簡単にはいかないのだ。綱を上下にバタバタと揺らす。動かんなあと思っていると、なんかの拍子にズルっと動き出す。動き出せば、ズルズルと順調になる。また、なんかの拍子に後に引っ張られてビクともしなくなり、停まる。
そんなことを繰り返して、少しずつ進んでいくのです。短いときは50メートルぐらい。長いときは2~300メートルぐらいか。停まっているときは、振る舞いの飲み物やらおしゃべりやらみなさん思い思いに楽しんでいます。
お昼になって、1時間の休憩。今年、市民農園の指導担当の先生から招待をいただいたので、数分先のそのお宅まで歩いて向かう。午前中ずっと降った雨のおかげで、靴の中、ズボンのすそ、腕の袖は全てグチャグチャだ。脱ぐもの時間が掛かる。でも、いただいたビールがおいしい。熱い味噌汁も。そして刺身も寿司も鯉の煮付けも赤飯も山菜も、、、。ありがとうございました。
午後は休憩にさせていただきました。明日は木落し、川越しの本番なので、エネルギーを使い果たさないよう。すみません。
ともあれ、土砂降りの雨の中、出発地である原村の一番塚というところまで歩いていきました。着いてみたら、まあ人の多さ。観光バスが何台も行ったり来たりしていた。ピストン輸送していたのだろう。目指すは前宮2という柱。本宮1、前宮1、本宮2、前宮2と並んでいるから4番目の奴。道路は既に柱が据え付けられているから、脇の道じゃあないところを歩くので、それが大変さを増す。
やっと着いて引き綱をいただきポジションにつくと、早々に接待係の人が、「良かったらどうぞ」と振舞い酒。煮干もポリポリ。今日は12kmほど、引っ張っていくことになるのだ。10トンを超える大木を、ズルズルと人の力で引きずるとは、想像がつかない感じだ。
進行係の人が白い旗を揚げ、木遣りの声が響き、「ヨイサッ」の掛け声で綱を引っ張ると動き出す、っと思ったらそうは簡単にはいかないのだ。綱を上下にバタバタと揺らす。動かんなあと思っていると、なんかの拍子にズルっと動き出す。動き出せば、ズルズルと順調になる。また、なんかの拍子に後に引っ張られてビクともしなくなり、停まる。
そんなことを繰り返して、少しずつ進んでいくのです。短いときは50メートルぐらい。長いときは2~300メートルぐらいか。停まっているときは、振る舞いの飲み物やらおしゃべりやらみなさん思い思いに楽しんでいます。
お昼になって、1時間の休憩。今年、市民農園の指導担当の先生から招待をいただいたので、数分先のそのお宅まで歩いて向かう。午前中ずっと降った雨のおかげで、靴の中、ズボンのすそ、腕の袖は全てグチャグチャだ。脱ぐもの時間が掛かる。でも、いただいたビールがおいしい。熱い味噌汁も。そして刺身も寿司も鯉の煮付けも赤飯も山菜も、、、。ありがとうございました。
午後は休憩にさせていただきました。明日は木落し、川越しの本番なので、エネルギーを使い果たさないよう。すみません。
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